ランチタイムのことだった。斜め向かいに座り合わせた
“おひとり様”の女性が食事の前に両手を合わせ、それから
箸を取っていた。いつになくその仕草が目に留まったのは
たまたま数日前に倉本聰さんの随筆集 『左岸より』に
触れる機会があったからだ。
倉本さんが開いていた俳優の養成所には「原始の日」
という日があった。それは塾生たちが火も自分たちで
で起こして生きた鶏を調理する日で、彼らを震えあがら
せる儀式の日でもあった。

そこで倉本さんが塾生に浴びせた言葉は 『 シメル。血抜き
をし、毛をむしり、ケツから手を入れて内臓を取り出す。
残酷だなんて逃げるな。その作業をいつも誰かがやってくれ
たんだ。食うだけ食っといて残酷だなんて言うな。罪の意識に
さいなまされたら祈れ。こういう時のために神様はいるんだ 』
〜 胡散臭い宗教家や安っぽいヒューマニズムをたれる、
どんな動物愛護団体にもまねのできない説得力があった。
テーブルの彼女は、ただ単にいつもの習慣だったのだろう
けど(だからこそ?)、生き物に対する感謝が伝わってくる
ような自然体で素敵だったなあ。

陽気に誘われ少し歩いた。気持ちを和ませてくれる植物にも感謝だ。

スカイバスも気持ちよさそうだった。なんだか、人は陽と水と緑があれば幸せになれると思った。